千ちゃんという、ほとんどアルコール依存症の、生え際が後退し、頭頂部すけすけの今年62歳になった男がいる。客観的に見ればの話だが、彼の人生は実に面白い。実家は豆腐屋だったが親が十年前に他界して、家業を畳んだ。千ちゃんといえば、大学卒業以来、家業を継ぐべく、豆腐屋修行に励んだが豆腐は一丁も作ることなく、配達ばかりしていたのだ。したがって家業の豆腐屋は作り手がいなくなってしまったのだ。それでも結構な遺産と年金で母親と二人暮らしをしている。結婚歴はない。なぜなら千ちゃんは、極度の奥手であり、気が小さいからだ。子供の頃から坊ちゃん育ちで付属高校から大学へ進学、めでたく法学士となったが、彼の人生にはなんのメリットも影響もない。ただ、酔えば必ず「輝く伝統!母校のために」と、母校の応援歌を唸るだけだ。彼には、昼間の顔と夜の顔の2つがある。昼間は借りてきた猫以上におとなしく、道ですれ違っても目も合わせようとしない。ところが、夜になると昼のおとなしさを挽回するかのように、猫が虎に変身するのだ。虎といっても他人と喧嘩をするわけでもなく、一人で何かと闘っているのである。酔えば必ず「押忍!」「輝く伝統!母校のために」「えっさこりゃこりゃこの俺が」てなもんである。もちろん本人は体育会出身ではない。ただ憧れていたのだ。彼は週に2日、近所の居酒屋2件を梯子する。一晩で2件を行ったり来たりするのだ。一晩でウーロンハイを20杯は飲み干す。時折、胃酸が逆流するのか「おえっ!」とやる。そして途中からはもう何を言っているのか、全く理解できないほどに呂律が回らなくなり、沈没するのだ。